2014 9月



2 北斎展が
13日頃から始まるので楽しみです。
飽きっぽい性質?というか続けることって難しいのですが
一生続けられる趣味を1つでなく2つ3つ見つけようと思いまして、
検討中です。
今までもお稽古は短期のものとかちょくちょくしていたのですが、
一生できる感はないのですね。
お料理教室や陶芸教室は特に生活面では潤してくれました。
語学とかも面白いけれど、一生夢中ではなくなりそうな感じです。
語学は住まないとなかなか習得できんですね。

とりあえず、
ご縁の重なりがあったので油絵を描き始めようと思いまして、
皆で集まるサークルにも入れてもらえることになりました。
夢中で己を忘れる時間というものが年を取ると更に必要になってくるきがしています。
死と向き合ったり、病気と向き合ったり、自分でなくても、周りの死や病や、年を取ると出てくる問題や課題と向き合うには、趣味が必要だと
思うからです。
趣味といっても、何でもいいのです。
夢中になれるなにかです。好きで夢中になれれば。
まぁ普通に読書とか映画鑑賞とかでもいいのです。好きで忘れられるならば。
趣味でも自分の内なるエネルギーをぶつけられる対象があれば魂は
健全でいられるようなきがします。
岡本太郎さんみたいに芸術は爆発だ、、みたいな感じで。
自己満足でもいいのです。
先日寿司職人さんと話をしていたら
包丁を研ぐ趣味とかも1つ、かっこえぇなぁとか思いました。

24 アレルギー
アレルギーというものに初めて悩まされました。
口周りだけのアレルギー。原因ははかり知れず。
とりあえず1つ1つやめていくしかなく試行錯誤中。
人に会うのが辛い日でもあります。

問題というのは常に自分の中に内在しており、
問題を抱えていないと人生ツマラナイなぁと何処かで内心思っているのかもしれません。
そういう性格というか趣味趣向なのかもしれませんので
そのひねくれた性格を直さない限り、問題提起は続いていくようなきがします。大きく捕らえれば 問題=ゲーム みたいなもんなのですが。。。
やはり辛く苦しい時も多々。
苦しみ、喜び、その繰り返しがあってこそ生きている実感が湧くというのも一理自分の中にはありますし
平々凡々とヌックリ暮らすほど穏やかな心もなく
常に何かに何かしら熱中していたという欲求は若気がまだあるとの証拠なのでありましょう。
自分を多めにみて少しは理解して見守るしかない今日この頃であります。

しかし今回感じたのは西洋医学の限界区域。
症状が出たら薬で無理矢理ストップする。
根本原因が消えない限りはまた露出するのが人間の身体と心の構造なのではありますけれども。
かといって東洋医学だけでも直らない場合もあったり、時間はかかる。
時間を掛けて自分と向き合えない心の余裕の無さにも問題はあるかもしれませんが。
西洋でも東洋医学でもいいけれど、その前に心のあり方に問題の原因を探ることもこれからの時代はしていかないといけないですね。

私の今回のアレルギーはとてもそれは原因の心のあり方があるのはしっかりと認識していていて、いつか爆発するのでは?と少しは危惧してはいたのです。

リズブルボーという人の著書で「からだの声を聞きなさい」という本があるのですが、体で悩まされるとたまに読みます。でも難しい。
心というのは本音とタテマエで成り立っていて、自分自身でも
わからないことや隠していることはたくさんあるわけだと思われます。

自分の心を操れるように、座禅でも?何でも組めばいいのかもしれませんが、なかなかそうもいかない心の余裕がないのが現状です。

アレルギーもちの方は色んなものが刺激になる、ということを
更に認識した次第です。

カラーとかの匂いで私は今はもう駄目になっていますし。
ので
お店でも更に体に優しいメニューをメインでやっていきたい所存です。
問題がないと人というのは真剣に取り組まないし、その分野の知識も増えないものですね。
今回アレルギーやアトピーの方の辛さを想像も含めなんとなく
わかりました。
自分が経験しないとわからない事は多々ありますし、
色んな引き出しのある、人の痛みもわかる器量?の大きな懐の大きな人に年を重ねるのならなっていたいなぁと思いました。
部下とか若い子にもアドバイスできるし、自分の子供がいたらきっといい相談相手のとうちゃんかぁちゃんになれて子供と仲良くなれるし絆ができる。
私の親とはそういう関係にはなれなかったですが、
そんな親子はとてもいいものだなぁと思います。





nikki2014aug.