august 2013

nikki2013july.
8月になりましたが、なんだか今年は夏らしくなく、
秋を感じる今日この頃です。
セミもそう鳴いてはいないような気も。
夜は秋を思わせる虫の鳴き声がしています。

今月はどんな月にしたいのか。
今月はリバティプリントでウキウキしたいと思います。
リバティは「自由」という意味でしたね。
リバティファブリックをご存知の方も多いと思いますが、創業137年程のイギリスの老舗のお店が
プリントデザインしたもの。元々は室内装飾全般を扱うショップです。

いまでもロンドンにはリバティデパートがあるそう。
創業者はアーサー・ラセンビィ・リバティ。
後にできた服飾部門もりたてたのは有名な建築家でもあったエドワード・ウィリアム・ゴッドウィン。

1875年にオープンした店舗は、日本や東洋の装飾品、ファブリック、美術品などを販売していて、
当初雇っていたのは少女となんと日本人青年!の2人だったそうです。
意外にも日本とのかかわがあったのですねー。

リバティは、普通の人々に対しても、美しいものを手に入れるチャンスを提供したいと考え事業を
拡大していき、今や世界中の人々から愛されるブランドに。

リバティのプリントはイギリスらしいなぁと思うものばかりです。
自然を愛する精神と自然が身近にあることによる癒しと喜び。

いつも花や木々に囲まれていたい、でもできない時は身近な生活用品で自然を感じれます。
例えば自然の絵(ボタニカルアートなど)を飾ったり、ウィリアムモリスの草木花の壁紙を貼ったり、
洋服など生活用品をリバティの生地を使うことなどなど。

私はクリムトの自然を描いたとある作品が大好きで、部屋に飾っているのですが、
その好きなクリムトの絵に似たリバティプリントがあり、今はそれがお気に入りです。

リバティの柄によって癒されつつもウキウキできる。生活をよりよくするアイテム。
それに女性ならきっと誰しも花柄を身につけると自分が女であることをより改め意識できる、そんな
フェミニン、がーリーな感情が自然と生まれてくる。

それらは創始者のアーサー・ラセンビィ・リバティがリバティを作った意図の一部そのものなの
かもしれません。


2 秩父よとこと一度はおいで♪

先日またしても秩父へ。
秩父で行きたいところは沢山あります。
まずお蕎麦が大大大好物なので秩父のお蕎麦やを制覇したいところですが。。。
で、今回はお蕎麦やさんと、かの有名な2時間待ちも当たり前のカキ氷やさんへ。
1時間半位並びました。
甘くみていましたね。
平日だし、そんなに待たないだろうと思っていたのですが、駄目でした。
店内はお洒落なんです。とても。
で。カキ氷は、とても美味しいです。ちとお高いですが、納得のお味。
氷自体も美味しい。
たかがカキ氷されどカキ氷。。。奥が深かったのですね。
私が行ったのは 阿左美冷蔵 です。
たぶんここいらでは一番並ぶカキ氷専門店です。
天然氷の業者は国内で5軒のみとのことです。
ところで天然氷とは?なるほど、私の想像とは違います。
寒いところに設置された人工の氷専用池が勝手に自然の寒さで凍り氷になるということですかね。
長野、埼玉に各一軒、日光に3軒あるのですね。
日光は寒いですからね。
金谷ホテルのさらに先は11月以降は通行止めでした。
去年の今頃奥日光へ1泊しましたが、よいところでした。
また行きたいです。
秩父では未だ泊まったことはありません。いつか泊まってみたいものです。
お遍路は気合がないのでできないでしょうが。


8 何処か遠くへ行きたいな
なので空想で満たしています。
最近は京都の嵐山の渡月橋のことや(ここは大変気に入りました)、
シティホテルのラウンジ(涼しそうで広いし天井高いしゆったりできそう)を想像。

今月は新潟の村上の瀬波温泉へ行く予定です。
夏休みです。去年は奥日光でした。奥日光は涼しかった。
今回は海と鮭と温泉とお酒を楽しもうと思います。
最近アクティブよりゆっくりしたいのです。
本をゆっくり読んで体を休めたいですね。
温泉は体を疲れさせる場合もあるので頻度と時間は要注意ですが。
村上はさけ(酒・鮭)が有名です。
酒は新潟米所なのでさすがに美味しいのです。
〆張鶴が地酒。最近は何処でも飲めるポピュラーなお酒に。
以前は吉祥寺で飲めるところは限られていましたしお高いイメージでした。
美味しく飲みやすく程よく辛口?なので一番好きな日本酒です。
あまり甘すぎる日本酒より程よいキレがある方が好きです。
西の方は甘く、北は辛いので日本って広いなぁとその特徴などが現れた地酒の面白さを感じます。
国内旅行では地酒を楽しむのが醍醐味。
落ち着いた居酒屋で日本酒とお刺身を最近食べたくてしょうがなかったので
今回夢がかなうといいなぁ。そういう贅沢な機会はたまーにでいいのです。
お金もかかりますから。
贅沢サラリーマン?などの酒飲み常習犯はさぞかし大変だろうなぁと想像します。
そんなにのんべぇじゃないし食に関して贅沢じゃないからお金がかからない人間でよかった。

10 ムーチョが逝く

(これはムーチョのお友達のワンコ父さんが写真を撮ってくれて大きく伸ばして
くれたものを、またデジカメで撮ったものです。2009年2月です。)
本日の明け方ムーチョが天国へ旅立ちました。
SANOVAにきて約9年位でしょうか。
もう9年位前から(! ・・・何故って飼い始めてすぐに癌で余命半年と言われたからです)
心の準備は一応できていたし、天命を全うしたので
ムーチョも私達も悔いは無いと思います。

飛行機で沖縄へも行ったしとにかく仕事も旅も(佐藤さんとは特に)すべていつも一緒。
これ以上ないほどにたくさん、本当に沢山の思い出を作ってきました。
それにこれくらいない程の愛情の交換も沢山してきました。

それにいつかは逝ってしまうのは人間同様です。
そういうことに逆らうことはできません、全て受け入れないといけないのですね。
わかっていてても、いつかムーチョは先に逝ってしまうことを考えると嫌で悲しくて切なくて
怖くて怖くて考えたくなかったからさけてきたのも事実なのです。

そしてこうして一番恐れていたことを目の前に突きつけられて、
とうとうきたかぁ、と受け入れるだけなのです。しかしとうとうのそのときは意外にも
ホッとした、で穏やかなものなのでした。きっと長生きしてくれてムーチョも私達も達成感も
同時にあるからだと思うのです。

ムーチョは生前苦しんできました、なので肉体をこの世界に置いて別の世界に旅立ったので
私は肉体の柵から解放されたムーチョに対して安堵の気持ちがあります。
もう苦しまなくていいのだよ、ムーチョ。
今までありがとう、だと一方通行なニュアンスなので私にとってはベターではあるけれど、
それよりも、今まで一緒に楽しんで最高の思い出共有して作ってきて
本当に楽しかったー!!! という共同作業的なニュアンスがベストな気持ちです。

亡くなった日に考えたのは、
ムーチョともう目が合うことがないのがさみしい、ムーチョが私を見てくれないのが。
私とムーチョの間だけに通じるアイコンタクトがあったから。
ムーチョの毛を撫でれないのがさみしい、
ムーチョの体温を感じれないのがさみしい、ムーチョのニオイが嗅げなくさみしい、
ムーチョ自体がいなくて・・・さみしい。
でもこれらはすべて肉体やこの世的、原始的なものに関するさみしさなんですよね。
それと自分のエゴでもある。
肉体を通して得るものは、有限でいつか必ず終りがきます。
他者を通して得る感覚は依存の一部だしとも思えるのです。
それよりもっとムーチョ自身のこと、ムーチョの魂のこと、ムーチョが一番なことを考えて
自分の物理的な要求はただの煩悩だと思って考えをシフトしたいと思いました。

仏教では生きていく上でのじぶんの思うようにいかない四苦八苦4つを
としていますが、まさにこの愛別離苦なんだと思いました。
出会いがあれば別れもあるので仕方ありません。
人との出会いもそうで一時的な関係、長い関係。

私がムーチョの死因が不明だったので調べていたら、
佐藤さんはムーチョは早いか遅いか、だったから、と言ったので気持ちが楽になりました。

それに前日までお店にいていつも通りでした。
少し散歩して帰宅してまたご飯を普通に食べ、寝る頃に少しハァハァと苦しそうで
様子がおかしかった?かも?の様でしたが、(暑いといつもそうなので)
次の日佐藤さんが起床してムーチョを見たら、
亡くなっていたそうです。
推定15歳位いや恐らくそれ以上かもしれなかったし、大往生だったと思っています。
多分16歳くらいだったと思います。
癌告知されてから、免疫を上げる癌に対応するサプリメントは毎日飲ませていました。

今年の初旬に私も人と離れ、毎日辛く、やっと先月あたり気持ちが吹っ切れ抜け出したところでした。
ウジウジしたネガティブな寂しさでしたから軽い体の病気になりました。
でもムーチョがいない寂しさはポジティブな寂しさで、
今まで小さい頃から何度も動物の死を通して体験してきて、
彼等を思い出すと心がホッと温まる、ムーチョも私の中ではいつまでもいることでしょう。

それにムーチョが来てすぐに癌がみつかり、余命半年と言われてもその後こんなに長く
生きてこれ以上ない程に思い出作れて、思いっきり可愛がったし、
しかも沢山のお客様にも可愛がってもらい、
こんな幸せな犬は珍しいのでは?と思います。

ムーチョってなんて幸せな犬なんだろう!!!!

ムーチョが亡くなった日は40度位に高温になった夏の暑い暑い日でした。

可愛がってくださった皆様、本当にありがとうございました。
ムーチョに沢山の愛情をありがとうございました。

28 犬
ムーチョが亡くなってから2週間以上が経ち少し落ち着いてきました。
他、最近色々忙しくてかえってよかったかも知れません。
火葬してかわいい骨壷に入りました!

ムーチョは里親として飼ったのですが、
最近、里親のサイトなどを拝見してボランティアで犬の救済をしている方のブログや
ラブラドールを飼っている方のを読んでいます。
同じ高齢犬を飼っている方などのブログをみると、同じ病気を抱えていたり、
些細なことでもなんかわかるなぁとか、
こんな方法もあるのかぁ、とか勉強になるし共感しています。
以前、実は犬のブログは見たこと無かったのですが。

他のワンコも我が子のように思えてきます。
このコに会いたいなぁとか。
とにかく今は犬のことばかり考えています。

里親の会の子の一時預かりのブログとか面白い。
それぞれかわいい名前をつけてもらって、保護されていて、とりあえず安心しているお顔。
夜眠るときも今頃安心してねていることだろうなぁ、きっとフカフカのベッドで安心して。。。
などと、全国のワンコ、特に保護犬を想像する。

犬と過ごすことで本当に大切なものを得られるのですよね。
私は犬は飼ったことが今までなくて、実家のべべが初めての犬。
その子は10歳くらいで、今も元気です!
(昨日もお散歩たくさんして風を一緒に感じてきました。)
ムーチョはべべより少しあとに佐藤氏が飼って、私にとって初めて亡くなったワンコ。
大切な犬を失う悲しみは初めてなのです。
しかし得るものがあまりにも大き過ぎると知りました。
死と向き合うのは悲しいから嫌だからもう飼わんぞーわしゃぁ!という人もいるけれど、
いいとこ?どりでは駄目ですね。楽しい悲しいも含めてこそ犬が好き。
酸いも甘いも含めまた飼いたい。
人生も楽しい(生・喜・幸)もあれば悲しい(死・辛・哀)もあるから人生は
味が深まり深みがでて面白いのですし。
良いも悪いも経験として捉えれば、すべて必要です。

そしてなによりも保護犬を飼いたい。
保護犬は今も何処かで赤い糸を求めている、
だから飼ってアッタカフカフカ布団でとにかく安心して幸せ感じてもらいたい。
犬・人の幸せは自分の幸せにもなる。
保護犬を飼えば、犬も自分も一石二鳥なんです。
辛い思いをした分、沢山幸せ手にしてもらいたいです。
きっとムーチョもそうだったと思ってます。
(ムーチョははじめは捨てられて、相模の方の山で雑草なんかを食べてなんとか生きて
いるところをレスキューされたから、すごく痩せていたんです。
痩せていたのは癌を患っていたからかもあり?かもですが)

全国の保護犬の幸せをお祈りしています。
私にできることがあれば、していきたいです。
どんな命でも上下はありません。1つ1つを大切に尊んでいきたいです。
無駄な殺しは極力しないようにしてます。
自分の命を繋げるために頂く命なら仕方ないですが、
自分のエゴや無駄な殺生は嫌なんです。